留学日記〜憧れから現実に〜 in Canada

バンクーバー在住の大学生が現地の生活などを踏まえ紹介していきます

日本の学歴推奨社会について

おはよーございます!!yutoです!

 

最近私の周りの日本の友達が皆就職活動に忙しい中まだ大学に在学中のカナダ留学生です。

 

今回は就職(学歴との関係性)について自分の考えを書いてみようかと思います。

 

まず、単刀直入に聞きたいことがあります。

「学歴」は大事だと思いますか?

 

大半の方が大事だと思われるかと思います、しかし、大事ではないと思う方もいるかと

 

私は大事ではないの方に一票です。

 

さて、こうした学歴の話題が上がると必ずサブトピックとして、「学校の勉強と、社会に出てからそれは使えるのか否や、それとも全くもって学生生活と社会人生活では全く相反するもので関係ないじゃん」とよく耳にします。

 

確かにそう聞こえる気がします、私もそう思ってました、いや、今でもそうに思います。

 

一般的に「仕事ができる人」というのは、気が利いたり、コミュニケーション能力が高かったり、行動力のある人のことを指すことが多いです。

 

そして、それらのスキルは学校の勉強だけでは培われないものです。下手したら遊んでばっかの親のすねかじり虫のチャラ男の方が、要領の悪いただ学歴が高いだけの秀才よりも営業業績が良かったりするものです。

それなので、「学歴=仕事ができる人」ではありません。

 

じゃあ学歴とは何かというと、「最低限の記憶力と計算力、国語力、英語力の証明」「一番遊びたい盛りにやることをやれる忍耐力」「教育にきちんと時間とお金を費やしてくれる家庭を持っている証明(一般常識を備えている確率の高さ)」なんですよね。

 

勿論、個人個人の能力では別ですが、集団として見た場合「賢い大学の学生」のほうが「偏差値の低い大学の学生」より計算が得意で、我慢強くて、常識のある可能性が高い。

 

更にそれが、一流企業であればあるほど、新卒募集の際にたくさんの募集が集まるのでそーですね、旧帝大早慶早稲田上智以上といった名門大学ブランドを背負った若者達だけといった足切りをするしかないのです。

 

気持ちも分からなくはないです。

だって、何万ものエントリーシートをみるわけですからそれはコストも人件費もかかります。

 

確かに採用担当者が何を見て決めるかなんて個人の主観だから、勿論最初に見るのが学歴で次に人柄なのです。

 

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(参照:https://toyokeizai.net/articles/-/131066?display=b)

 

でも、考えてみてください。学歴は置いておいて人柄なんか一度会っただけじゃ分かりませんよね?

 

第一印象は凄い硬派な人で清潔感もあってすごくいい青年だとか、第一印象は清楚系で物事もハキハキとしていて気の利きそうな女性だ、なんて、そんなのはただの作り物に過ぎないのですよ。

 

人が人を判断することは難しいことです。

判断材料としては色々見た目など、喋った感じがありますが、本当の自分は自分しか分かりませんから。

 

会社に入社したらその人達が仕事が出来るとは限りませんし、それは学歴においても言えます、学歴が高いから仕事はできて当然と見られるのですよ、逆にそこにギャップが生まれて採用担当者が偏見と固定概念で採用したつもりが、入社してから使い物にならなくて中々給料が上がらないなんてこんなケース沢山あります。

 

それで学歴だけで生きてきた新鮮な若者は転職や辞職に追い込まれる、こんなのが日本の社会だなと感じています。

 

それの逆も言えます、才能あるのにその才能をうまく発揮できないまま社会にもまれリストラされ人生を棒にふるなんてケースもあります。

 

学歴の話に戻りますと私が思う学歴は旅客券と同じで、エコノミークラスの人は飛行機に乗る際に長い列を並び、ビジネスクラスの旅客券を持っている人は直ぐにゲートを通過し優遇して通して貰えますよね。

 

それに伴ってこの旅客券を手に入れられるのは学生の特権であって、22歳からは数十年の生涯賃金がどーーんとハネ上がるわけで、かなり効率のいい資格ですよね。

 

いや勿論学歴はなくとも記憶力が優れ、忍耐力もあって、一般常識を持った人はたくさんいます、ただ、それを企業側に探す手間がないだけという話なのです。

 

つまり、学歴とはまだ本当の大人として社会に出ていない平凡な若者に貼られたレッテルでそれを効率的に判別するためのラベリングにすぎないのです。

 

じゃあ、日本は本当に学歴社会なのかと言ったら実際そうでもないのですよね。

 

新卒の時はあれだけ学歴を見た企業達が20代後半からは実績だけを中心に見るようになってきます。

 

更に35歳を過ぎれば誰も学歴はみません。それまでにきちんとしたキャリアを残していないような人材は、たとえ学歴がよくても必要とされない存在と判断されてしまうのです。(これはこれできつい…)

 

経営者に置き換えても、プロゲーマーに置き換えても、プロスポーツ選手でも結果や数字が全て。

 

ちゃんとやりたい事があってそれに向かって全力でやってる人が違う大学に通っていて意味を見出せない場合、進学のメリットはないんですよね。

 

つまり時間とお金の浪費になってしまいます。

 

・結婚も学歴もしょせん肩書きに過ぎない

 

極論、学歴なんて、所詮薄っぺらい肩書きに過ぎないです。結婚の場合も同じです。

 

例を挙げると、結婚していたって冷めきっていて別居しているとか、結婚していなくとも結婚している夫婦よりお互いに愛し合っている恋人はいますよね。

 

こう言った恋愛においても学歴においても種類は沢山の例や、種類は様々なんです。

 

ただそれはそうなんだけど、実際問題として「結婚した当初は愛し合っていた証明」になるわけですよね。

 

学歴もそうで、人間の本質とか、まれにいる仕事の苦手な秀才とか。そういう難しいことは置いておいて、実際問題として「日本社会を渡っていくうえで、便利ですよ」としか言えない。

 

だから、そう言った種類や個性を無視して十把一絡げに「学歴が全てだ」を説くのでは

百害あって3利あり、合計97害くらいありますよね。

 

や、3利はあるんですよ。

 

だって、学歴もあって才気溢れて仕事も出来る、俗に言う完璧な人も居ますから

 

これは例外ですけど。こういう人は決められたレーンでたとえ脱線したとしても元ある学歴と対応力、忍耐力を駆使して再びレーンに乗っかって自分の進むべき進路を走れる人なんですよ。

 

・大学教育は意味のある教育課程

 

大学教育に意味があるかないかでいえば、個人的にはめっちゃあると思います。

 

一番大事なのは「一次資料の信頼度を確認して、科学的根拠に基づいてから判断する」ということですかね。

 

わかりやすくいうと「デマに騙されない」というものです。

 

教育を受ける機会がなかった人は「自分の目で見たもの」「信頼する人の話したこと」を信じすぎる傾向にあります。(頭がいい人ほどそうです)

 

例えば、何か今までの世の中にまだ出回っていない新商品を開発しようとしますよね、それで当然誰かに相談をするわけです。

 

その相手が理系だったら「それのエビデンスは?」と思うし、文系なら「これ、歴史上似たような話があったかな」とか思って多角的にツッコミを入れたあげく「うさんくせえ」という結論に至ると思うんですよね。

 

教育にはそういう、自分で批評する力、生きぬくための判断力を養う効果があります。

 

最後になりますが、就職活動に悩んでいる新4年生の方々、たとえ、内定が決まらなくても、もう少し勉強していい大学に入らなくてもと悔やまないで欲しいです。

 

どんな大学は入ろうと大学生活は充実していたと思うし、とても楽しい思い出になったかと思うんです。

 

何も才能なく学歴もないなんて関係ありません。(個人的な意見です)

 

勉強は苦手でも、たくさんの優れた才能を持った人もたくさんいます。

 

それはもしかしたら才能が開花するのが遅咲きなのかもしれませんから。

 

私のケースに至ってはまだ大学卒業出来るか、いつ卒業出来るのと頻繁に親からの着信が鳴り止みません😭

 

しかし。やりたくないことをやって後悔するより、やりたいことをやって後悔した方がよっぽど意味のある後悔かと私は思います。

 

最後に余談になりますが、私の性格上何をしても焦りがないという事を心配しています。

 

例えば次の日テストでもやりたい事を優先してしまうし、進路が悪い方向にいっても焦らないというか危機感を感じないんです。

 

でも、自分を変えなくはないんですよね。性格を曲げられないというか、勿論一般常識は人並みにはありますよ。

 

こんな私でも時には悩みも…すぐ忘れてしまうけど

 

いいというかむしろ悪いのですが、こんな何も考えなしの大学生でもカナダで留学し続けられてるなんて不思議ですよね。

 

こんな変わった性格だからなのかもしれない…

 

以上、こんな感じで思った事を書いていたらついこんな長々しく内容の薄い、自分の学歴と同じような文面になってしまいました🙇‍♀️

 

また、次回のテーマにて会いましょう🤘😊